スイミングスクールに通わせる意義と「仮説と検証ループ」
私はかれこれ6年ほどとあるスイミングクラブでインストラクターのアルバイトをしているのですが、スクールに通う子どもたちを指導する上で気を付けていることがあります。それは
「必ずしも水泳を上達させなくてもいい」と思うこと
です。こんなことを言うと水泳技術を向上させるためにお子様をスイミングクラブに通わせている親御さんから怒られそうですが、特に子どものスクールで良い指導をする上では数少ない真理のひとつではないかと思っています。
残酷ですが、あらゆるスポーツには向き・不向きがあり、水泳も例外ではありません。同じ質の指導をしても、ポンポンと進級していく子となかなか進級できない子が現れます。指導をしていると、センスという以外に説明のしようがないほど上達が早い子は必ずいます。
そのようないわゆるセンスのある子は、指導者にある種の万能感を与えてくれます。オレの指導のおかげでこの子はあっという間に上達したという自信を得ることができます。調べても出典が見つからなかったのですが、シンクロナイズドスイミングの井村コーチも同様のことをテレビの特集でおっしゃっていたと思います。
「水泳を上達させないといけない」という視点に立つと、おそらく上記のような中毒性にハマってしまい、水泳の上達が緩やかな子を敬遠することになります。いわゆる選手コースのような全国大会に出場する子を育てようというコンセプトのチームならまだしも、クロールすらまだ泳げない子に指導する人間は絶対にこうなってはいけません。
また、親御さんのなかでも「うちの子はなかなか進級しなくて…」と心配される方がいらっしゃいますが、良いコーチに指導を受けているとしたら、それを心配することはナンセンスです。なんなら、進級することを子どもに求めてはいけないとすら私は思っています。社会性を身に着けるためにとか、体力向上のためにとか、そういうのもスクールのレッスンにおいて本質的な目標ではないかなと思っています。
私は、スイミングクラブに限らず、あらゆる習い事において身に着けるべきなのは「仮説と検証ループ」を自分で回す能力だと思っています。(仮説と検証ループはPDCAサイクルと似た概念だと思いますが、PDCAについて詳しく知らないので、ここでは自分で作った仮説と検証ループという単語を使います。)
仮説とは「前回はこれが原因で上手くいかなかったんじゃないか?」と考える力、
検証はその仮説がどの程度正しかったかを評価する力です。
一般的に、なにかの実力が上がるスピードは
仮説と検証ループの強さ × 才能の係数 × 練習量
で決まると思っています。
仮に練習量と才能が同じだとすると、上記のようなイメージになります。(歯車は回転速度とトルクが反比例の関係にあるので正確さに欠くと思いますが、あくまでイメージとして捉えて頂ければと思います。)
実力を伸ばす上で才能も大事なので、仮説と検証ループをが強くなっても水泳における才能の歯車が小さければ水泳の実力は伸び悩みます。しかし、たとえばテニスにおける才能の歯車が大きければ、おそらくテニスを始めた途端実力はメキメキと上がっていくでしょう。
スイミングスクールに通う子が高校卒業くらいまで水泳をやっている割合というのは数パーセントだと思います。しかし、水泳を通して身に着けた仮説と検証ループは生涯のあらゆるものに応用できると思います。
最初の話題に戻りますが、
・コーチは水泳の実力そのものに注目するのではなく、その子の仮説と検証ループを強化する指導を心がけるべきである
・お子様をスクールに通わせる親御さんは、進級を望むのではなく仮説と検証ループがお子様の中で形成されてるかに注目して応援してあげてほしい
というのが結論になります。
とはいっても、進級バッジは即物的で分かりやすいですが仮説と検証ループが形成されているかは目では見えないので親御さんとしては不安に思うこともあるかと思います。ぜひ、レッスンの後で「今日はどういうところを気を付けたの?」「どんなことしたら上手くいった?」というように声をかけてその日のレッスンのセルフフィードバックを促してあげてください。